悩める学生へのメッセージ
2008 10 27 05:22
知人のブログを巡回しながら
一見、外から見れば誰もが安定した人間だ。しかし、時折彼らは不安定になる。それは、学生だからだろうか。もちろん自分も、例外では無いご様子で。このブログに投稿されている全ての記事を見れば、いくつか不安定な記事があると思う。
後から見ると、不安定さは、恥ずかしい。その真偽は別としても、それは黒歴史と呼ぶにふさわしく、自分で書いたと思いたくないほど気色悪い。厨2病チックでもある。もちろん、今書いているこの記事も。たまに、こういう気色悪い分析記事を書きたくなる。
人間関係
人間関係のこじれは、被害妄想から来ている事が少なくない。この被害妄想というのは、「それぞれが、好き勝手に、自分の置かれた立場を憂うことで、自らのアイデンティティを確立しようとし、同時に忙しい自分を口に出して表現することで、充実した日々を体感しようとする。自分が、身近な誰よりも大変な思いをしている」という考え方を指す。自分ではそう思いたくないが、客観的に見れば見るほどそうなのだ。
自分を含めて学生は、時間も、自由も、際限なく持っていて、おまけに、ちょうど良いくらいに物事を知らない。絶妙なバランスである。
おかげで、一見無駄な事で悩む。加えて、それに前述の幻想が混じるから、一人でマイセルフラビリンスへ突入する傾向がある。今勝手に言葉を作ったが、雰囲気だけ感じればよい。
一人で生活していても、面倒事につきまとわれるというのに、そこに恋人や友人が介入するとより面倒になる。本来、精神が未熟な私たちに、他人を優先的に考える余裕など存在しないはずだ。しかし、社会ではそれが問われ、最低限のレベルで必要である。正直の所、自分は、しばらくの間は、そういうものに関わりたくなく思う。
ただ、「ソーシャルコミュニティー」については、一考する価値がある。複雑な社会が形成されているからと言って、常に避ける訳にはいかない。
結局な話
何をどうしようが、後悔する運命にある。後悔せずに生きられる人間は、後悔しないことを意識しているだけだ。
もし、あなたが、ティーンエイジで、何らかの事項に悩み、日々不安になったり、考え過ぎて嫌になったり、気分が悪くなったりするのであれば、諦めるしかあるまい。その悩みについて、どんな選択を取ろうが、待っているのは後悔である。
だったら最初っから、それを前提に行動することだ。
このブログの記事のような書き物についても、書く人が成長し続ける限り、将来的に自分で稚拙なものに思えてしまうもの。ただ、どんな見当外れな分析、検討、不可解な主張が書かれた、それもこの記事のような、根拠無き断定に溢れた記事でも、ウェブでは新旧関係なく発掘されてしまうのである。
情報を発信するときは、未来の上司や取引先が、その記事を読む事を考慮せねばならないのだろう。あぁ、もっと早く、小学生の高学年、ネットを使い始めるようになった時に気付いていれば良かったんだけどね。
情報教育というのは、パソコンの使い方を教えるのではなくて、こういう事を話さねばならないと思う。


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