総理大臣って大変な仕事だなあ

必要とされること

国政に関する最大の責任を負うのが内閣総理大臣。優秀な官僚、側近のサポートはあるのだろうけど、発言をするのは結局、首相本人であるわけだから、基本的な知識、あらゆる分野の認識というものを持つことが求められる。

世界中の国々と関わるということは、世界中の国々から求められている事を一つずつ知っていないといけない。また、手元を見れば、日本国内でも困っている人、国のサポートを求めている人が山ほど居る。トップはその要望の一つ一つに、答えるか、無視するか、考えなければならない。

経済の知識も、歴史の知識も、もちろん法学だって最低限必要なものとなってくる。しかも、実践する立場にある以上、高校で習う常識程度のものでは補い切れない。(私が大学で学んだことが無いことから、言及するのは高校の範囲までとしよう)

きっと、財務省、外務省、経済産業省のトップに立ち、国務大臣や首相と関わりを持っている官僚からして見れば、大臣も含めた議員というものは、票集めと影響力作りの為に奔走している、無知なヤツラなのかも知れない。これから先、独裁的な天才は現れることはなさそうだから、やっぱり官僚が主体となった政治が進められていくのだろうと思う。

それから、麻生首相は阿呆首相だの、国のトップをひたすら貶す風潮がメディアにあるけれども、何かそれは本質を外した批判のように思えてはならない。別に、漢字の読み間違いを指摘することが悪いこと(少なくとも良いことではないが)と言っているのではなく、批判せねばならないことはもっといっぱいあるだろうよ、と。加えて、批判対象は本当に閣僚集中攻撃態勢でよろしいのですか、と。

私は、麻生がダメだから、国がダメになるわけじゃないと思うのですよ。

ニッポンの、いわゆる中流層の、私たち庶民は、もっと冷ややかな目で、メディアの報道を見つめなければならないのだと思う。今現在の、テレビ、新聞は、国のトップが漢字の読み間違いをすることを喜ぶような、低いレベルの読者をメインターゲットになっているようで、そのことについても、少し考えなければならない。

かくいう私は、寮生という身分なもので、まったくテレビを見ない。時々帰省したときに、録画されていたドラマやアニメを、一気に見る程度である。まあ、ちょっとだけ夜中の討論番組に興味があるけれども。

とりあえず私は、巨大権力の批判に走る前に己を顧みることが必要だなあと思います。自分が、社会に、会社に、必要とされるほどの人材となることができれば、国という枠組みの中で生きる必要もないし、景気に左右されることも、なかなか無いわけですから。それが、自由資本主義なのでしょう?

「ウェブデザイン」は、捨てようと思う

ウェブは好きだけれど

デザインの方向性

ウェブデザインといっても、自分のデザインは遊びでしかないと思う。だから、方向性も、適当だったかもしれない。このブログは、「ブログっぽくないデザイン」にしたかった。多くのブログを見ている人は、「ブログっぽいデザイン」はもう見飽きていると思う。幅がまちまちなサイドバーがあって、カレンダーがあって、使ったり使わなかったりなリストが並んでいる。トップページには一番新しい日記が掲載されていて......。

そういうブログは、フツーのブログで、ブログは日記でしかない。

日記だけでなく、情報を発信するサイトにしたかった。だから、ブログっぽいデザインにはしたくなかった。カレンダーを外したり、トップページにオススメ記事へのリンクを貼ってみたり、サイドバーの幅を大きくして、文字サイズをでかくした。その結果、まぁ自分が妥協できるレベルには達したんだけれど、ブログっぽいか、ブログっぽくないか、自分では判断できない。(どちらかといえば、やっぱりブログっぽいデザインだとは思うけど)

このブログのアラ

さて、丹誠込めて隅々まで丁寧に作り込まないと、良いデザインなど生まれない。このブログは、その点いい反面教師だと思う。

細かい部分で、微妙である。記事本文のページでは特に顕著。例えば、コメントやトラックバックが汚い。

直せばいいんだろうけど、どうもやる気にならない。プライオリティが自分の中で大して高くないから、結局放置している。

なんか違うなぁ

ウェブデザインは、嫌いではない。どちらかというと、好きだと思う。自分は、ウェブが好きだと思う。インターネットは、やっぱり表層的なものだけど、その中で、それなりのデザインを作れることは、ちょっとした自信になったりもする。

でもなんか違うんだ。

本当に好きなら、隅々まで、丁寧に、魂を込めてサイトを作ると思う。自分にそれができているか?できていない。コンテンツが無いからかも知れないけど、改善点が分かっていながら放置している時点で、全然、気持ちがこもってない。

まだ、できないことも多い

フォトショップを使ったり、HTMLを書いたり、CSSでちょっと複雑な事を試してみたり、そのくらいならできる。

ただ、掲示板やチャット、システムが作れない。致命的だ。正直、そのくらいできないと、ウェブ業界の人材としては役立たずだと思う。なぜ、今作れないかといったら、過去を振り返ってみれば分かる。作れる必要性が無かったからだ。

もともと、サイトを作り始めたのは、RPGツクールで作ったゲームを配布したかったからだし、そこから、サイトを作る方に熱が移って、今に至っている。コミュニティには既存のシステムを使えば良かったし、フリーで配布されているシステムで個人(中学生)の実用には十分だったし、メインはRPGツクールというソフトウェアだったから、ウェブ上に何かを構築する必要はなかった。

また、今何かを早急に作る必要性もない。だから、何も作れないんだと思う。やったことがないし、やる必要も無かったから。

違う、と思った理由

(テキストベースの)ウェブサイトを一から作れる人だって、全体の割合で言ったらたいしたこと無いから、自分はまぁ特技のようなものを一つ持っていると言えなくもない。

でも、だんだん、自分はこの方面を伸ばして行きたいとは思わなくなってしまった。熱が冷めたのだろうか。

だって、自分にしかできない事じゃないんだもの。もっと上が居るとか、そういう次元じゃなくて、オリジナリティとか、創造性が、全くない。大した、需要もないから資本にもならない訳で、生産力として数えられない。

自分の技術くらいじゃ、正直誰のためにもならない。

もし、それなりに使える人間になるんだったら、今から莫大な時間を投資しなきゃいけないけど、ホントにそれでいいの、俺?

自分ができる必要性もないよね。他の人で、十分事足りてる。

才能

いろんなことを試して、始めて分かる事があるそうだ。

適正があるかどうかは、やってみないと分からない。自分に、ウェブの適正はあるだろうか?さあ、本業じゃないし、PerlもPHPもやってないし、わかんないね。

ただ、自分は入り口で立ち止まっている。何度も扉を開けようと―一度開けて中に入ったりも―したけど、また元に戻ってきてしまった。

それが何を意味しているか。今の自分にはハッキリとは分からない。

ただ、今のところ、この分野に進みたくないことは確かだ。

だから、とりあえず、一度捨ててみる事にしよう。別の、新しいことを始めたい。

1日24時間、もう精一杯使っているから、新しいことを始めるには、今やっていることを捨てなきゃいけないんだったね。そう、だから一度ウェブは捨てる。(まぁ、一つ仕事持ってるからそれはちゃんとやるけど)

別の扉の向こう側を見てから、どこに深入りするか決める事にする。

田母神俊雄・元航空幕僚長の論文について考える

質はとても劣悪な論文

はっきり言おう。歴史を語る論文にしては、できがお粗末な気がする。理由はカンタンだ。論拠が貧弱である。

歴史認識を是正したいのならば、それにふさわしい「証拠」を提示すべきである。というか、自分が今やっている歴史のPBLですら、その方針に則り、あらゆる本を疑って掛かり、できるだけ「一次資料」に近い物、「当時の政府が出した書物」のみを信用するようにしているというのに、この論文は半分近くが田母さんの意見で構成されている。もちろん、部分的には信用に足る文献を論拠にしてはいるが、核心となる部分、特にアメリカの陰謀論のような点、何一つ証拠が示されていない。

これでは、中国や韓国に「歴史の歪曲だ」と言われても仕方がない。歪曲じゃない、という証拠を示さねば、歴史歪曲大好きな国々にすら認めてもらえないのだから。

失笑

論文内に、以下の記述がある。

『「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。』

講談社、ワック出版、文藝春秋、櫻井よしこ、私はこれらのワードが出てきた瞬間にめまいがした。私は、どうしてもこれらを信用することはできない。

中国韓国の批判

さて、当然、中国や韓国から批判が出ているようだ。ただし、「論評抜きで事実関係だけを伝えるものが目立っている」(読売新聞)とのことである。そして、日本のメディアは、「真実のごまかし」「侵略美化」「歴史の歪曲」「妄言」と中国や韓国から出た批難をそのまんま垂れ流している。それでよいのか?

何が言いたいかと言いますと。田母さんの論文は確かに、全面的に信用することはとてもじゃないが、できないものだが、それが本当に全部「嘘」である証拠もまた、メディアから提示されていないのである。

これが、日本の戦後教育なんだろうなぁ、と思った。

自分は、日本が昔、とても悪いことをしてきた、と習った。それが本当かどうかは分からない。「まるで、国民が自分の国を好きにならないように、誘導しているようだ」と今の自分は思う。

そして、メディアの反応を見て、ゾッとするのだ。多面的な視点を持たず、少しでも歴史を美化するようなものについては、中国と韓国の批難をそのまま直輸入する。

「中国」と「韓国」

さて、みなさんは気付いただろうか?

田母さんの論文について、世界中から批難されている訳ではない。批難の表明が出たのは、「中国」と「韓国」のみである。私が、そこら中のニュースサイトを駆けめぐって探してみたが、「中国」と「韓国」の批判以外、取りあげられていない。

そもそも、「中国」と「韓国」は、世界でも有数の歪曲された歴史教育を行っている国であることは、みなさんご存じであろう。

そんな国の批判だけを取りあげるというのは、おかしくないか?

さらに、戦時中、植民地下(植民地という言葉を使って良いかはさておき)にあった国は中国や朝鮮だけではない。なぜ、台湾からは批判されないのですか?なぜ東南アジアやアメリカから不快感を示す言葉が日本に届かないのですか?

何かがおかしい。何かがおかしい。ひっかかる。一方的に田母さんは批難されている。

真実

歴史の真実、自分には分からない。「認識問題」と言われるように、考え方が人それぞれなように、認識もまた人それぞれ。しかし、対極する意見があるにもかかわらず、常に支持されるのは一方だけ。

これは、新聞記事やテレビのニュースを、全て真に受けてはいけない証拠である。

わずか50~100年前の近現代史でも、真実を知っているのは、昭和天皇、明治天皇だけなのかも知れない。

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